■ 青木恵哉師「のがれの島」の碑 |

「魚ならば海にもぐりても生きん 鳥ならば空に舞い上がりてものがれん 五尺の体 住む所なしと 青木師外十五名がのがれのがれて露命 をつないだ無人島ジャルマ!しかし 水のない島は人間の永住に適しなかっ た 屋我地大堂原は水ゆたか 神の選び賜うた地上の天国であった 碑に向かって左方海上五百Mジャルマ島」
と書かれています。
・徳島出身のキリスト教宣教師:青木恵哉(ケイサイ)氏他16名のハンセン病患者が、迫害からのがれるために、1935に上陸し半年間生活したそうです。
・その後、屋我地島北端の大堂原(ウフドウバル)に入植し、自ら施設を作ったそうです。
・その施設が愛楽園の前身だそうです。
(屋我地大橋)
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